生老病死

祖父が生死の境にあったころからしみじみ思ったけど、祖父に比べて自分たちのなんとかけ離れたことかと。
祖父は食べることも話すことも用を足すことも眠ることすらできない状態で、それでも必死に病気と戦ってたのに、看病する側はやれお腹空いただの眠いだのトイレだの言ってて、生きるというのは世話のかかることだなと思う。看病するあっち側とこっち側で随分かけはなれているなぁと。
そしてとうとう亡くなってしまうとお葬式まで線香を絶やさないようにと寝ずの当番をかわりばんこにしてるとあっちに連絡こっちであれを出して弔問が来たら挨拶して寝れるやつは寝ろ、食べるやつは食べろでやはり世話がかかる。祖父はいよいよ仏さまになって手間もかからず自由自在どこにでもいけるのだろうなぁ。
私は看病の辛いときにそばにいなかったし誰それに連絡ってこともないし、することと言えば会社に忌引電話するくらいなものなのでこんな気楽なことを考えられるのだけど。
まぁ祖父を見て自分が生きてることを実感し、生きるというのは煩わしいことだなぁと思ったということです。