pndmさんの二次元恋愛論に寄せて

すごく印象深かったので一言二言。

女の子って自分と対象キャラクターの間に何か(自分にかわるキャラクター)を挟みますよね、という話。ドリーム小説にしてもBLとかにしても。女子と男子の違いはそこにあるのではないかしらとふと思ったり。男の子は女の子に比べてダイレクトに自分と直結させている*1のかなぁと思ったけど、逆に自分という存在が不在であると考えることもできるかも。対象のみ。とりあえずわざわざワンクッションおいているという感じはないよね。

私は今日の今日まで二次元の恋愛に自足する人たちって男女の形の差はあれど、自分との壁を作りながらなおかつ恋愛を体験しようとする仕組みがあるんだと思ってた。

  • 女の子の場合

自分とは関係のない世界での恋愛の構築。つまりBL(?)。

  • 男の子の場合

限りなく透明で存在感が皆無な他者と自分の置き換え。
それは例えばギャルゲとかエロゲとかその形式を継承していると思われるメディアの主人公みたいなの。


でも、pndmさんの日記ではじめてその存在(というかその名称)を知ったけど、「ドリーム小説」なんてものがあるんですね。登場人物を自分の名前に置き換えるって、かなり実体として「自分」の恋愛を体験しちゃうんじゃないだろうか。男×男という女の自分が交わることのない世界とか、透明で存在が危うい自分とかとは遠い気がする。
けどそれって単純に私が前の世代で止まってるってことだけなのかもしれない。

アニメまんが世代の腐女子、キャラ萌えさんは、「自分が介入しない世界で、自分好みのキャラたちが戯れあう」物語を愛好しました。が、ゲーム世代以降の腐女子、キャラ萌えさんは、「何がなくとも、まず自分(主人公)」です。

「多彩なキャラ同士の個性のぶつかりあいに萌える」のではなく「無色透明で無垢で、素直で、良い資質を持った、凡庸なキャラクターが、多彩なキャラにマンセーされ愛される」のに、萌えます。

自分の前時代っぷりを痛感した。もうヲタ論なんか振りかざさない。
この下のもまとまってて面白かった。勉強になった。

よくわからんけど、エロゲの主人公の名前変えないよね。ってかエロゲの主人公は自分じゃないよなぁたぶん。だからこそ、エロゲやってるとぬおおお、この主人公自重しろ!みたいなことを思うわけでw

あー、やっぱり思うんだ!と思ったり笑
私なんかが考えてる事なんかは所詮既に誰かがその何レベルも洗練させて述べているね。


ここまで読んできて、pndmさんの言う<ワンクッション>置くにすごく納得。ただ、このワンクッションはむしろ<二次元恋愛>において対象との距離を縮めてるような気は依然として感じる。
そこで改めて疑問なのは何で男の子は主人公という媒介を通す癖にその媒介を邪魔に思うんだろう、という事。展開が進まない以上しょうがないんだろうけど、自分を置き換えちゃった方が実感が持てるような気がするのにな。
…と思うのこそが私が女子であるが故の不理解なんだろうか。男の子ってやっぱりわかんないわ。