文学研究の基本?

今更聞けない文学講座。を誰か開講して欲しい。


昨日の演習の話。
と言っても昨日は演習出てない。(演習テーマは『源氏物語』ですが。私の卒論テーマも『源氏物語』ですが。演習担当の先生は卒論の指導教官ですが。先週もサボって睨まれましたが)サボって何をしていたかと言うと、近代のドクターに「近代と現代ってどう区分されるんですか?」と質問してた。なんかね、さすがにわが指導教官の隠し子、じゃないや影武者、でもないか、だなぁというくらいお話をそのまま文字に起こしたら私みたいな馬鹿な子にぴったりな入門書が出せるんじゃないかという内容だった。「なるほど!定義そのものが曖昧なものを持ってるから区分けも曖昧なんですね!」とか馬鹿な事を言っても、全くその通り!といわんばかりに爆笑して話を聞いてくださるからこの先輩が大好きだ。「《近代的》な制度や思想が破綻していくのが現代」みたいな解釈でいいのかな。まぁ多分ダメ。前に「なんで三島の「跳んで来い」ってシーンはそれだけが一人歩きするくらい有名になったんでしょうか」と質問した時も教科書的に教えてくださったけど、こっちは教科書にしても需要がない(笑)。下らない事からめんどくさいとこまで。知識を幅広
く持っている人は手放しで尊敬してしまう。尊敬。


何を一番尊敬するってその「教科書的説明」。昨日そのあと自分の説明の下手さを痛感する事があった。演習終了後発表担当者が帰ってきたので待ち構えてダメ出しした。でもなかなか話が通じず、その上向こうは短気な性格で話を最後まで聞いてくれない。「話を最後まで聞きやがれこのクソ餓鬼/クソアマ」を互いに絶叫しあうはめに。私なりになんでこのコミュニケーションが失敗したかを分析すると

  • 私自身が説明したい内容についての知識に乏しい
  • 相手と専門用語が共有できない
  • 文章構成の経験不足により演習発表資料が無駄に難解
  • 暖房がききすぎ
  • お腹が減りすぎ
  • 卒論が進んでなさすぎ

等々が考えられるんだけど、根本的に私の知識不足が原因だよなぁと思う。説明って知識を土台とした論理性が重要だと思うんだけどどっちも私にはないんだもの。挙句私が説教してるのに他の人から見ると頭を抱えている私の方が叱られているように見えるらしく慰められたりして困惑した。


そんなわけで。私は基本的に議論・討論が苦手で終わると必ずどんより気分になるんだけど昨日はぐちゃぐちゃに気分が悪かった。いっそのこともっとぐちゃぐちゃになって吹っ切れようとボスにメールでこの問題をぶつけてみたら未だに返事が来ず、吹っ切れるどころかぐちゃぐちゃなまま朝を迎えたので卒論とか書く気分じゃない。
だから私は旅に出ます。さようなら。いつかまたどこかで会いましょう。
aully@新幹線車内