世間の非常識

最近、「源氏と言えば白」とか、「『山の神』即ち奥さん」とかが世間の常識ではないことを思い知って、久し振りに世間の非常識に身を置いてた大学時代を思い出した。

たったの3年間の研究室生活でこの程度は世間からずれてしまったわけだから、世間のあちらこちらにこれと似たり寄ったりな非常識はあるのだろうな、と思う。社会に出たら尚更だろうな。同じ業種でも会社が変わったら意味が別になる専門用語が結構あるって話を聞いたことがある。

特に私なんかは世間の皆々様方に微塵もお役に立たないことを勉強してきた恥ずべき学生でしたけど、するとますますこの狭い世界の常識は人様の知る必要のない、下らないことこの上ない無益な知識なわけです。ここまで自分の無用さを書き連ねると我ながら清々しいな。

最近上のこととは方向性は違うけど、似たような感慨に至ったのが「大学時代勉強なんかしてたの」という言葉。
言わんとしてるところは当然「大学っちゃ遊ぶところですぜ」という豪快な武勇伝へと続く端緒であるところに尽きるわけだけど、こういう無益な学問を志すというのは既にそれ自体娯楽であると言えるのでそれ以上に遊ぶことなんかないと思うんだな。私としては。それも人に言わせれば私なんかは遊びであるこの学業をさらに遊び程度にしか取組んでないんですが。どうせ。
おまんまの種にならないお勉強、即ち娯楽を税金使ってやらせて頂いてよかったんだろうか。今更ダメと言われても困るけど。どっかのお役人さんより悪どいですぜ、私は。

こういうルサンチマンをむんむんに沸き立たせても「ルサンチマン」という言葉さえ通じないこの社会ではこうやってぶつぶつと呟くのが関の山。
何が言いたいかというとまたもや朝から晩まで(正確には昼から晩まで)学術書の湯船に浸かってのぼせてた昔が恋しくなってきたということなんですが。将来子どもができたら一人くらい学者になって不出来な両親の無念を雪いでくれないものかしら。純血種のキモヲタか腐女子が生まれてくるのだけは確定してるのですが。
日記て寝ぼけて書くもんじゃないすね。お先に失礼して寝ます。