ヲタでもいいじゃない、人間だもの。

最近仕事で移動が多いので、先輩に話を聞いてもらうことがよくある。主に人生について。
話をしてるなかでよく感じるのがヲタへの否定的な態度についての違和感。
ヲタを「大衆」の目から「外部」として見る場合、「大衆」から見ればヲタは外部にあって「異物」なのだから、堂々と蔑める位置にあるのかもしれない。でも私はその「大衆」の本質が近年ぐっと多様化したんじゃないかと思っていて、マイノリティに対抗するマジョリティが喪失されつつあるんじゃないかなんて考えている。するとマジョリティを失った「大衆」は「異物」を分ける境界線すらを見失い、「異物」を飲み込んでしまうんじゃないかと想像している。オサレな格好をして可愛い彼女がいて社会にきちんと参加している(大衆要素)ヲタ(異物要素)がゴロゴロいて(大衆と異物の融合)おかしくないんじゃないかと。もちろん今も昔も変わらないキモヲタはキモヲタのままで社会参加したりしなかったりしてて、でもそれも一つの「大衆」なんじゃないかと思うのよね。もうヲタは「外部」に存在しないと。好きくない言い方をすれば「ヲタも個性」みたいな。
そんな書いてる私さえ意味分からない論はどうでもよくて、ヲタは愛しいと常々思う。ヲタが外部かどうか以前に自分もヲタなら明らかにそれは内部だし。好きなものに熱中したり物知りにだったりするのって単純に素敵だと思う。自分の世界を持ってるって、魅力的だと思う。なんかもう、ヲタキモくない。なんて。
とか何とかいう話を彼にすると「お前はヲタを美化して考えすぎ。ヲタも色々だ。」と言われるのでそれもそうだと思うけど。ヲタの話を聞くのが大好きで、話を聞いてたら勘違いさせて惚れられてしまうことがよくあると言ったら「撒き餌まいて寄ってきたら『来た来たきんもーっ☆』ってやってるのか」と言われたのは言い得て妙だと思った。
まあ一言で言えばヲタ万歳なのです。