きょうてかったぁ

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

一番頭のところに「「ぼっけえ、きょうてえ」とは岡山地方の方言で、「とても、怖い」の意。」との解説があった。末尾の解説で京極夏彦が語っているけど、これは意味深な宣言でっせ。作者が読者の側にまわり「あぁ怖かった」と言っているというこの京極さんの解釈は愉快。よって賛同。
表題作「ぼっけえ、きょうてえ」はぶっちゃけ「きょうて」くはなかった。以下、この本を読みたい人のために折りたたみますよ。




ある女郎が客に身の上話をせがまれ、「教えたら旦那さんほんまに寝られんようになる。脅かすわけじゃあないけど、この先ずっとな。」とぽつぽつと語りだしていく。
それは女郎の生まれた村の話、母の稼業である子堕ろしの話、近親相姦、やさしい巡査の話、死んだ小桃の話、自分の左につりあがった顔の話・・・などが皮肉たっぷりにやわらかな方言で語りだされている。
ぼっけえ、きょうてえ」は遊女の語りによって物語が進行している。聞き手である客の男の姿は全く見えないのに、語りの場の空気感や温度、湿度まで感じさせる技術は秀逸。
父親との近親相姦とか、子堕ろしとか、ナメラスジ(魔物の通り道なんだそうだ)とか、人面瘡とか、確かにおっかない表現はいくらでも出てくるけど、それで脅かされるわけではない。むしろさっき書いた空気感とか湿度が背筋をぞくりとさせる。
禁忌を思わせる事柄(双子の姉の事とか、父親の死因とか、小桃の死因とか、両親が兄妹だとか)は話を追っていくと順に解明されていく。こういう仕組みは単純で分かりやすいし、先を類推させるエンターテイメント的な要素になっていると思う(こういうジャンルは不慣れだからお作法やお約束なのかも分からないけど)。
とにかくこれは恐くはないけど面白い!恐さを求めていたらがっかりするかも。恐がりの私がなんともないんだから。
最後の三行の展開は天井が一回転するような気持ちよさ。この後の話が気になる。

  • 密告函


岡山の方の田舎の村役場の話。コレラが蔓延して、対策のための密告函が設置されて、その開封役になった村役人が主人公。
コレラの恐怖と並び立つ程の恐怖は二人の女。拝み屋の娘で不思議で妖艶な魅力を持つ女・お咲に主人公の弘三は翻弄されていく。でもそれ以上に背筋を凍らすのが弘三の妻トミ。賢い女と評判の良妻トミが弘三の知らないところで静かな嫉妬の鬼へと化けていく描写は何とも言えない。
物語の結部でコレラやお咲の問題が終焉していくところで見せるトミの姿が、日常こそが以前の危機にも増して過酷であることを弘三に突きつける。「今日帰る我が家こそが密告函なのだ。」

  • あまぞわい


こればっかしはマジでぼっけえ、きょうてかった。貧しい漁村の男錦蔵に身請けされた岡山の酌婦ユミが、女の霊が泣く「あまぞわい」に流れ着くまでの話。「そわい」とは潮が引いた時にだけ顔を出す浅瀬や岩礁のことなんだそうだ。
冒頭で錦蔵(キン坊)の祖父が語る「あまぞわい」の話は男に惚れて惚れてついには命を棄てても夫をかばう「海女」の話。
中盤でユミが死んだ祖母から聞いたと言う「あまぞわい」の話は漁師の男が美人で評判の尼に惚れ込んでさらってきたのはいいけど、飽きてくると漁師の妻としては全くの無能なその尼を「そわい」に置き去りにしてくる話。
ユミと錦蔵もこの「海女・尼」と漁師の男との境遇に類似している。ユミは全く自分を省みない錦蔵や慣れない漁村の生活にうんざりしている中で網元の息子恵二郎と出会いひかれ逢瀬を重ねる。それが錦蔵の耳に入ると錦蔵は恵二郎を殺し、目撃したユミと一緒に隠蔽する。つまり例の「あまぞわい」に置いて逃げる。
しかし恵二郎は発見され、ユミは恵二郎の陰におびえいつしか「海女」と「尼」の待つ「あまぞわい」へと追い込まれていく。
ときどき出てくる二人の女の霊の描写が普通に恐かった。

  • 依って件の如し


村人に忌み嫌われる女の墓、貧しい兄妹、牛。なんか最初に出てくるモチーフで全てが説明できている気がする。
なんか、最後の方で利吉はシズの兄であると同時に父だった、なんて書かなくてもかなり早い段階で分かるし。
でもこれが一番面白かったかも。でも恐くもあった。「あまぞわい」といい勝負。てか利吉(一家殺人、母親と相姦、妹の大好きな牛を鍋の具入れる、とか仕出かす男だけど)かっこいい。色っぽい。私をめろめろにするには「逞しい」の一言でいいんだけどさ。
これだけでも一読をおすすめしたい。・・・ってここまで読んじゃった人は読む気になれないかな。




全編を通して、きちんとモチーフに注目して読み返したら全く違う解釈が生まれるかもな。