aullyという名のテクスト

aully2005-07-01


御髪下ろしたてまつりたい。


我が身のつたなさを思いやりたくなる事態なのですよ、私にとって今は。これも前世の業の深さなんでしょうか。罪深き身のために今にもはかなくなってしまいそうです。徳高き僧に戒律を授けられたいです。事の発端なんてもう忘れました。ひたすら私の中で何かが終わろうとしていることだけは分かります。物事はもう一段上の次元で有機的に絡み合い、私に諦める決意をさせたんだと思います。
ここで文学研究者風なレトリックを駆使してaullyというテクストを分析してみます。テキスト論が専門外の方とテクスト論を熟知されている方は以下見苦しい文章が続きますがご容赦下さい。


(前略)aullyはこれよりかなり前の時点において二度も「ボス」から拒絶をされている。この二度にわたる拒絶にも関わらずaullyは「ボス」を諦めようとはしなかった。
ここで注目すべき点は最初の「告白」においてaullyは「ボス」に対し「諦め」る事を前提としていて、相手にもそれを告げている事である。つまりaullyはこの恋愛の始まりの時点から「諦め」を前提としていた。
ここで我々は一つの矛盾に気付くべきであろう。それはつまり「諦め」を前提として始まった恋愛が、そこで終わるどころか「執念」「執着」で縁取られている点である。
「諦め」を前提としている恋愛が二度の拒絶にも関わらず「執着」され続けているところにaullyというテクストの一つのほころびが見出だされる。
矛盾を抱えたこのテクストはその内包する矛盾故に混乱をきたし、制御の不可能なものとなっている。
具体的には「諦め」を前提・建て前として据えられいる事を無視し、「執着」を自らの内面において正当化してしまっているのである。
しかしそうは言ってもaullyの中に「諦め」という建て前が消失してしまっているわけではない。消失していないだけに相反する二つの感情が葛藤している。そしてその葛藤はなぜか「執着」の継続という形で具象化されていた。
aullyの中での矛盾は歪み、膨張して飽和状態となっていた。
その飽和状態が崩壊する必然性としての要素は既に複数存在していた。以下に例を挙げる。


①別の男(B・J氏)の存在。
②「ボス」に好きな人がいるという噂話。
③「ボス」が自分に対し無頓着である事の冷静な自覚。


その他いくつかの要因が複雑に絡み合い、それがある拍子に飽和の崩壊を招いたのである。
そのタイミングが今回の場合たまたま昨日の飲み会の先輩からの一言であったという事にすぎない。
たまりにたまった緊張状態が崩壊したため、現在aullyは「内的失恋」とでも言うべき状態に陥っている。言い方を変えれば「外的失恋」から長い時間をかけてやっと「両面的失恋」を獲得したとも言う事が可能であろう。(後略)